
辞書を開くには上のボタンをクリックしてください。詳しい説明は「ヘルプ」をご覧ください。
“La Vortaro”Pilger: “BER”Bick: “Esperanto-dansk”
ヘルプ: * ? 更に.
目次
1.エスペラントとは何ですか。
2.全世界でエスペラントが分かる人は何人いますか。
3.すでに英語が国際語になっています。いまさら新しい言語が必要でしょうか。
4.国民と領土がない「生きた言語」はありえますか。
5.エスペラントの目的は、今ある諸言語にとってかわることでしょうか。
6.エスペラントが広く導入されるというのはユートピア的ではないでしょうか。とても信じられません。
7.現在では方言への関心が高まっていることが見てとれます。これはエスペラントの考え方と相容れないのではないでしょうか。
8.世界のすべての人々がエスペラントを自分たちのやり方で使うようになったら、言語がばらばらに方言化しませんか。
9.エスペラントは人工語ですので、自然なものとは言えないと思いますが。
10.なぜ有名な言語学者はエスペラントに否定的な発言をするのですか。
11.エスペラントで高度な討論、詩作とか感情の表現はできますか。
12.なぜエスペラントを学ぶのですか。どうやったら使えますか。
エスペラントは、言葉が違っている人たちがコミュニケーションをとるのに有用なものです。
世の中はますます国際的になっています。金と物とがある人たちは自由に行き来しています。しかし、違った言葉を話す人たちは、言葉を学ぶのもままならず、思いを自由に伝えることも困難です。この言葉の壁を越えて橋渡しをする解決方法がエスペラントです。エスペラントを学ぶ人は「わたしは世界中に通じているのだ」と異口同音に言います。
本当の国際的なコミュニケーションがどんなものかを「体感してみる」に十分な人がいます。しかし、何人の人がエスペラントを話すことができるのかを知る手段は残念ながらありません。ラテン語を話す人の数とか、中国以外で中国語を話す人の数がわからないのと同じです。おそらく五万人から二百万人の間でしょう。いずれにせよ、エスペラントを話す人は結構いて、われらが地球上に離れて暮らしていますので、国際的な文化を育てていくことができます。
新しい文化が新しい言語を産みます。国際的な文化も例外ではありません。
英語はすばらしい言語ですが、それはどの言語も、その文化圏のなかですばらしい言語であるからです。しかし、それは本当に「国際的」でしょうか。3つの観点から考えてみましょう。
A)国際的な国家機関(国連、ヨーロッパ連合[EU]、インターポール[国際警察機構])などはどこでも英語だけを使ってはいません。これは国際的な民間機関(NGO)の大部分にもあてはまります。国連やEUは、実際のところ、公式言語の数を何回かに渡って増やさざるを得ませんでした。
B)世界のどこでも英語が通じると思うのは幻想です。南米やアフリカ、そしてフランス語、中国語、日本語などが通じる国に行ってみれば分かりますが、そこで大きなホテルや空港など以外の人とコミュニケーションはとれません。ヨーロッパでさえも、英語が通じず、通じると思っても、それで話せる話題はふつう、限られたものです。
C)多くの日本人や中国人は学校で英語を十年間も学びますが、ほとんどの人はしゃべれません。ヨーロッパの人も、長年英語を学んでも生まれながら英語を学んでいる人と同様に話せる人はごくわずかです。エスペラントは、比較的短い学習と実践を経て、「自分自身の言語だ」と感じられるようになります。
はい。ありえないのは、その言語を使い、愛し、面倒を見る人がいるコミュニティがなくても、生きている言語です。そのようなコミュニティというのは、国民とは異なり、地球上にちらばっている人からなっていてもかまいません。中世のラテン語も国民がいない生きた言語でした。イギリスのケンブリッジ、ドイツのケルン、チェコのプラハで教鞭をとる教授はラテン語で教えていて、それが当たり前でした。エスペラント使用者のコミュニティというのは、世界の諸国民が参加し、おのおのの国民らしさを大事にしながらも何かそこに新しい「人類」らしさがある、といった人の集まりのようなものです。エスペラントにも「民」はありますが、それは地球という惑星全ての人が潜在的に参加する地球民です。
言語を生きたものにするのは、肌の違いでも朝食の風習の差でもありません。それはコミュニケーションをとろうという意志です。たとえばここ数年で爆発的に伸びてきたインターネットもこの意志が人々にあるあかしです。その発展が可能だったのも、みながパソコンで同じコード体系、同じコンピュータ内言語を使っていこうということに同意したからに他なりません。たとえ使っているパソコンのOSがマッキントッシュ(アップル)、ウィンドウズ、ユニックス(リナックス)と異なっていたとしてもです。この発展は論理に基づくものでした。では、その論理はいろいろな文化と言語がある人間には適用されないのでしょうか。
いいえ、まったく違います。エスペラントは諸言語が生きていく権利を守る防波堤ともいえます。
エスペラントの大きな利点は、それがどの民族の言語でもないことです。エスペラントは異なった言語を使う人たちが意見や思いを交換しいあい、感じたことを表現するためにあります。ですからエスペラントは諸民族、あるいは諸地方の言語に対抗するものではなく、逆に世界各地で起こっている言語への抑圧を取り除こうとすることに貢献しています。
さらに、異なった文化に属する人々と直接個人的な交流を持つことは、われわれを取り巻く文化と人間の多様性によって経験を深め心が豊かになるためのもっとも効果的な方法です。このような経験から他の言語や文化への好奇心と興味とが広がっていきます。
エスペラントを学ぶと、多くの人は「ああ、わたしでも外国語ができるのだ」という自信がつきます。そして、その中の何人かの人はさらに別の民族や地域の言語を学びはじめます。多くのエスペランチストがエスペラントだけでなく他言語や他文化一般への興味を持つようになります。
全ての重要で有用な進歩はユートピアの実現です。未来を見通す能力をもった人だけが本当に実現不可能なユートピアかどうかをいいあてることができます。さて、1989年の5月の辞典で、だれがベルリンの壁の崩壊とソ連邦の分解を予見できたでしょう。実際、人間には予見は不可能です。多くのSFでにみられるやっかいな状況は、もしも登場人物が携帯電話をもってさえいれば解決してしまったでしょう。これらは、いまや普通のことですが、当時の作家は予見できなかったものです。世界の技術の進歩で実現したこと、実現しつつあることだって、ユートピア的なことでした。
今日のエスペラントは「ユートピア」をはるかに越えたものです。120年にわたって全ての大陸で、人生の全ての場面で使いつづけられてきた現実的な提案です。
現在の国際的な状況で出会う言語コミュニケーションの課題には解決が急がれています。中には「課題は以前からあったし、今後も続くだろう」と思う人もいるでしょう。しかし歴史を顧みれば解決された課題は多いのです。この言語の課題もうまく解決できるとは考えられないでしょうか。
実際のところ、多くのエスペランチストにとって、エスペラントがいつ広く導入されるかはあまり重大な関心事ではありません。ここにある言語と、それにより構成されている世界的なコミュニティを楽しんでいるといえるでしょう。文通に旅行に、そして音楽によって。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、方言への新たな関心は、エスペラントへの関心と同じ方向を目指しているものです。
方言は、ある(きわめて小規模の)地方のコミュニティの中の感情を表し、関係を記述するのによりよい手段だということがしばしばあります。それと同じ流儀で国際語エスペラントの方が国民とか方言地域の文化には属さないで全ての人にとって共通なことを表すのにより適しているということがあります。理想的には、人は3つのアイデンティティ(自分がよって立つ立場)と3つの言語を持つのがよいかもしれません。地域、国や地方、そして全世界の3つです。経験によると、これらは問題なく調和します。フランスのコルマー(Colmar)の住民は、家ではドイツ語のアルザス方言を話し、国語のフランス語を解し、そして世界との関係をエスペラントでつける、ということで、同時にアルザス人、フランス人、そして世界市民として自分を位置づけることができます。そして、そうすると、フランス語しかしらないフランス人よりは文化的に豊かな暮らしをすることができるでしょう。
言語がばらばらになるというのは、人々が相互交流を望んでいないか、できないという状況を反映しています。ラテン語は数世紀の間、広大な領土で使われましたが均一でした。ラテン語が方言に分化して、ラテン系の諸言語(フランス語、イタリア語など)が生まれてきたのはローマ帝国が倒れ、相互交流が止んでからのことです。
われわれは相互交流ができるか、という問いには技術の発展が答えています。人工衛星、インターネット、携帯電話、マスコミ、鉄道、航空機、自動車。。。そして、エスペラントの存在こそが、人々が直接交流を望んでいるということの強い表明です。
どんな言語といえども、人の創造の結果です。自然とみなしているさまざまなもの、たとえばパン、バラの花、豚、犬といえども、人が自然に対して創造性を働かせたものです。
エスペラントの基本的な構造は、いろいろな自然語が発展の過程でもたらしてきたさまざまな要素を選んで洗練させたものです。ですから、言葉を話している人にとって、エスペラントはまったく自然にきこえます。この自然さというのは、意味ある記法を一般化するという人間の脳の持つ性質を他の言語にも増して有効に利用しています。多くの言語には、「もっと良い」(エスペラントで pli bona)にあたる独特な語があります(例:英語のbetter)。しかしその言語で育つ子供は多くの場合、「もっと良い」を2語で表現します(例:英語でmore good)。これは「もっと若い」「もっときれい」「もっと強い」のように使われている記法「もっと」(エスペラントのpli、英語のmoreなど)を一般化して「良い」にも当てはめたものです。両親や先生が訂正したり、周囲のまねをすることで、やっと「自然」ではない、その言語の規範にあった話し方になります。これは不規則なことにみな当てはまります。たとえば「取った」(エスペラントでprenis)と過去形で言いたい場合、何かを加えたり語尾を変えたりする(日本語で「た」にしたり、エスペラントでisにする)かわりに動詞内の母音を変える必要がある言語があります(例:英語でtake-took)。この場合も、子供や外国人は最初には規則的な過去形をつくってみたりして(例:英語でtaked)、正しい不規則形には行き着きません。このような困難はエスペラントではぐっと少ないです。
エスペラントの誕生の際におどろくべきことは、この言語をいろいろな人が取り入れて相互理解をすすめていく内に、生き生きとしたものになっていくような条件を創始者のL.L.ザメンホフが取り入れていることです。そのため、実践が積み重なって、構想上のものがいまや生きた言語になっています。1887年にワルシャワの無名の目医者ザメンホフが小冊子の形で種をまいたものが、もはや種ではなくなっています。種は、言語の壁を越えてらくらくとコミュニケーションをとろうという人間という大地を得て、そこで生きた言語に自然のうちに成長してきました。
エスペラントの「種」はたった一人の人がまいたのですが、発展しているのは、他の言語と同じく使われているからです。基礎は不変で、 Fundamento de Esperanto(「エスペラントの基礎」)という本にまとめられていますが、いまやエスペラントには百年前にはなかった多くの単語や表現があります。豊かになってきて、いまからも豊かになります。この言語の発展の様子をたどり記録していく機関としてAkademio de Esperanto(エスペラント学士院)があります。
言語学者は言語の複雑さをよく知っています。まさにそのため、きわめて優秀な学者ではあっても、エスペラントが完全な生きた言語として機能していることが信じられないことがあり、そこで注目して研究すべきだとは思わないといった風潮があります。
言語は非常に複雑でデリケートであり、真に豊かで生きている言語が一青年の構想から発していること(実に、ザメンホフがエスペラントを発表したのは、十年の試行の後の27歳のことでした)は、ほとんどありえないことです。それに懐疑の目を向けるのももっともです。しかし、現実を調べれば、エスペラントが国際的なコミュニケーションのためにおどろくほど良く機能していることに気づくでしょう。
はい、最初の詩はエスペラント発表の1887年に出た小冊子にすでに発表されています。新たな詩集が常に現れ、また有名な古典的な詩がエスペラントに多く翻訳されています。
次のような優れたエスペラントに訳されて作品があることだけでもエスペラントが文学作品に適した言語であるとご理解いただけるでしょう・・・ライプニッツの「モナド論」、シェークスピアのソネット、エルジェの「タンタンの冒険旅行」シリーズ(フランス語で描かれた有名な漫画)、トールキンの「指輪物語」、タゴールの「飢えた石」(インドの小説)、魯迅の「狂人日記」、聖書、コーラン、孔子の「論語」、川端康成の「雪国」。そして、今も多くの詩の作品などが発表されています。
討論が明快で、卓越して、良質であるには、全ての参加者が、おのおのの得意としている言語で主張し、聞いている人が言われたことをすぐに親しみなれている言語でこれを理解することが必要です。このような経験は、毎年行われている世界エスペラント大会などで体験できます。その他の機会としては多くの国際的な会合、科学的なテーマのセミナー、夏季市民大学講座などがあります。そこでは、毎年、エスペラントで講習、討論、あるいは廊下でばったりと出会ってのおしゃべりなどが行われます。
歴史的にも、世界各地で多くの人がエスペラントで自分の感覚を表現しているのを見ることができます。本や歌や詩であったり、他の人との出会いの場であったりします。エスペラントのコミュニティ(共同体)に触れると、エスペラントでもって他人をののしったり、激しく口論することもできることがわかります。それと同時に、連帯感を表明し、他人の苦しみを分かち合い、また深い愛情をともにすることもあります。
エスペラントに興味をお持ちになり、どうやって使うかなどもっとお知りになりたいときは、http://lernu.net/enkondukoにお立ち寄りください。そこでは「なぜエスペラントを学ぶか」、「どうやったら使えるか」についての問答が掲載されています。
この「回答」は、翻訳家、心理学者そして著述家でもあるClaude Piron (クロード・ピロン)がlernu!のスタッフと共同で作成しました。